京都ハンナリーズ【寺嶋良】、プロ7人制ラグビー選手【林大成】 アスリート対談
プロバスケットボールB.LEAGUEの「京都ハンナリーズ」で、ポイントガード(PG)としてチームを勢いづかせる活躍を見せている寺嶋良選手。
チームに所属せず、フリーランスのプロアスリートとして「7人制ラグビーのオリンピック金メダル」を目指し活動する林大成選手。
ともに、高校生時代から京都に縁があり、東海大学出身で、プロになってマツシマホールディングスがスポンサーをしているなど共通点が多い。そんな2人のアスリートの対談をお送りします。
3月25日京都府内で発売されたスポーツ報知に挟み込みのタブロイド紙「きょうと報知」に掲載された対談の全文です。
- ――寺嶋選手は東京都出身ですが、なぜ京都の洛南高校に入学したのですか?
- 寺嶋良(以下、寺嶋)中学の先輩が洛南高校に進学しまして、その先輩を追いかけてというのもあるのですが、洛南高校自体がかなり全国区というかブランドのある学校だったので憧れがありました。親元を離れて洛南高校へ行きたいと言ったら、親は少し抵抗があったようですが、最終的には許してくれて、洛南高校に行って寮生活をすることになりました。
陸上の桐生祥秀さんも洛南高校の卒業生です。体操ではアテネオリンピックで金メダルを獲得した冨田洋之さん、バレーボールは全国トップクラスです。駅伝も強いです。スポーツだけでなく、クイズ研究部も強いです。洛南高校は偏差値70台の進学校で、僕らはスポーツクラスという推薦で入ったので進学クラスの生徒たちとは教科書も違いますしテスト内容も全く違うんです。
寮生活をでは、いろいろなスポーツの人が同じ部屋に住みます。バスケ部だけでなくて、他の競技の生徒が一緒になりますし、進学クラスの生徒もいます。テスト前などは勉強を教えてもらったりとかしましたし、ワイワイして楽しかったです。
バスケ部だけの部屋となると、四六時中一緒にいることになりますが、他の部の生徒と一緒の方が楽しいです。高校3年間で、体操部と陸上部、バレーボール部の生徒と部屋が一緒でした。トップレベルの選手がいたので、毎日が刺激的でした。特に同じ年齢で日本一になった陸上の選手には大いに刺激を受けました。
- ――林選手は京都のマツシマホールディングスと長く関わりがあるとか?
- 林大成(以下、林)東海大仰星高校のラグビー部で、マツシマホールディングスの松島常務が1年先輩のキャプテンで、次の代のキャプテンが僕でした。すごく仲が良くて、高校からのお付き合いです。東海大学時代は、僕がキャプテンで、松島常務は副キャプテンでした。個人的には関係が続いていましたが、マツシマホールディングスとの縁でいえば、高校三年生の大学に入る前に、高校ラグビーが1月に終わるのですが、ラグビー部を引退してから大学の入寮日までの2ヶ月間、洗車のバイトをしていました。そこからしばらく空いて、2020年2月からスポンサーというかたちでお世話になっています。
- ――お二人とも東海大学卒ですが繋がりもあるのですか?
- 寺嶋ラグビー部とバスケ部は縁があって、朝食が一緒なんです。同じ食堂で食べるので、他の部活に比べてもラグビー部とバスケ部は近い感じがします。駅前で飲んでいる時も。ラグビー部と一緒だったりして。
林さんが東海大のラグビー部と聞いた時に、先輩ですけど親近感があるというか、仲間意識を感じました。
- 林大学の授業でラグビー部がバスケをやると下手なんですよ。バスケ部がラグビーをやると上手いんです。他の競技をすると下手なのがラグビー部“あるある”で、筋肉を付けてパワー出すための体になっているのでしょうね。バスケ選手は身体全体がしなやかなので、何をやっても上手いです。
- 寺嶋4年生の時に、ラグビー部の監督にタックルの仕方とか教えてもらいました。
- 林井上康生さんが柔道の授業で先生をやっていたり、みんな東海大出身の方が部活の監督やコーチをやっておられて、その方達の授業があるんです。バスケの授業では日本一の監督に教えてもらいました。その監督は教員としても凄くて、指導者としてコーチとしても凄くて、すばらしいとすぐにわかる人でした。
- 寺嶋バスケの技術だけでなくて、人間性も学べる先生でした。
- ――寺嶋選手が京都ハンナリーズに入団されたきっかけは?
- 寺嶋大学の時に教育実習で洛南高校に来ていて、その時に京都ハンナリーズの練習に参加させていただきました。洛南高校は45年間京都で連続して優勝していたのに、僕がキャプテンの時に決勝で負けて準優勝したんです。そういう嫌な思い出を持ったまま京都から東海大に行ったので、その後悔を回収したいというのが心にあったのだと思います。京都ハンナリーズから声がかかった時には、京都に行くしかないと思いました。卒業旅行とか色々計画を立てていたのですが、2019年の12月に大学の大会が終わった次の週に京都に来て入団しました。
- ――林選手が15人制ラグビーから7人制に替わったきっかけは?
- 林自分自身の現役のキャリアで、どこに一番大きな目標を置くのかとあらためて考えた時に、7人制には東京オリンピックという大きな舞台があって、その大きな所に向かって行きたいという気持ちが強くなりました。15人制に比べて7人制はまだまだ日本で浸透していないですし、ほとんど知られていない状況です。自分がプレーすることと、自分自身が7人制の価値を生んでいきたいという思いも強くありました。
日本では、しっかりチームがあってサポートされているのは15人制だけで、日本でラグビーをしているトッププレイヤーはみんな15人制を選びます。7人制ラグビーのリーグがないため、15人制のチームにいる選手の中から7人制に適した選手がピックアップされて、7人制の日本代表の試合がある時に練習して試合に行きます。
僕がオリンピックを目指すとなった時に、15人制のチームにいて代表以外の時間を15人制のスキルアップに使い、みんなと同じように動いていたら、オリンピックには当時の自分の位置からは遠すぎると感じました。
オリンピックの2年前になってから日本代表の合宿と大会が年間の2/3あったので、それ以外の日をチームで動くより、代表の活動の中で出た課題とかをしっかり取り組んだ方が僕にとってはいいのではないかと思い、自分を環境的に追い込むために、また自分が7人制で活躍するのに必要な時間をつくるために、チームを離れる決断をしました。目標を置いたからとった行動です。
- ――7人制ラグビーと15人制ラグビーの違いは?
- 林ルールは全く同じで、フィールドも同じで、15人でやっていることを7人でやるので、走る量とかも増えます。ただ15人制は40分40分あるのですけど、7人制は7分7分なんです。15人制よりは得点が入りやすくて、短い時間に15人制と同じ見せ場が全て入っていて、誰でも面白く観られると思います。
- ――ホテル生活で普段はどんな練習をどこでされているのですか?
- 林チームを辞めた時に、2/3が代表の合宿に行っているので、家を持っていたら残り1/3を家の周りで生活することになり行動に制約ができるからと、まず家は要らないなと思って、ホテル生活にしました。
練習を一人で河川敷ですることもあれば、2人から6人ぐらい集めて普通のグラウンドで砂まみれになりながらトレーニングしていることもあります。そういう生活をして1年後に、大々的にいろいろなところを回っていろいろな選手とトレーニングをする活動を始めたんです。それが注目してもらえるようになって、徐々に自分の活動が広がっていきました。
いろいろなレベルの選手や環境の違う選手と練習をして、自分のスキルとかに気づくことがありました。最初からその道が正しいと思っていたわけではなく、全てが正しいと思っていたわけではないのですが、今振り返ってもその選択が正しかったと思います。
東京オリンピックが延期になって、コロナウイルスの影響で多くの選手が一人でトレーニングするのに慣れていかなければならない状況でしたが、僕はある程度慣れていいたので、自分で必要なことはできたと思います。
そういえば、最初の緊急事態宣言が発令された4月から6月の期間は、マツシマホールディングスさんが運営しているテイクフィジカルコンディショニングジムには結構な頻度で行っていました。
- ――京都ハンナリーズはどんなチームですか?
- 寺嶋2020-2021シーズンで新体制になり、コーチもGMも代わって、選手も半分ぐらい代わって、チームがガラッと変わりました。チームを一から積み上げていくというのが初めての経験だったので、今年は貴重な体験ができたと思います。
僕と同じ年齢で大学卒業してすぐの選手が4人いますし、外国人選手も2人は若いですし、コーチも若くて、エネルギッシュな勢いのあるチームだと思います。その中でもベテランの選手が数人いて、若手の勢いに対して冷静に見てくれて、僕らがちょっと方向を間違って勢いに乗っていた時は修正してくれます。総合的には、若手とベテランのバランスがよく取れたチームです。
- ――2021年の目標は?
- 寺嶋今年はオールスターに選んでいただいたのですが、コロナの影響で、オールスターゲームが無くなってしまい悔しい思いをしました。オールスターに選ばれるということは、自分の技術や応援されているという意味では向上しているということだと思うのですが、来年選ばれなかったら、技術面でも応戦されているという面でも後退しているということで、それが一つの目安として来年も選ばれるというのが僕の目標です。
リーグ推薦というのもあるのですが、SNS投票というので僕は選ばれて、応援される選手でなければ選ばれないというのがあります。来年SNS投票で選ばれないということは、前年より応援されていないというわけで、さらに応援される選手になりたいと思います。
- 林チームとしての目標は、東京オリンピックでメダルを獲ることです。色の話はチームとして出ていないです。なぜかというとリオオリンピックで日本は4位だったんです。ラグビーには15人制、13人制、7人制、タッチラグビーとかあるのですが、全てのラグビーで世界4位以上の成績は取れたことがなくて快挙だったのですが、全然話題にもならなかったですし、リオから帰ってきた空港には記者とかがいなかったそうです。オリンピックに関してはメダルを獲るか獲らないかが、日本の皆さんやメディアにとっては大事でフォーカスされるところで、4位が快挙であったのに何一つ歴史も変わらなかったし、その後の7人制ラグビーも変わりませんでした。ということからチームとして「オリンピックでメダルを」ということを強く話しています。
僕自身としては金メダルを獲るつもりで始めたことですし、金メダルを獲るつもりがないのでしたら、僕は7人制ラグビーに完全に身を置いていないと思います。
オリンピックでメダルを獲ったとしても、一時的な注目で終わってしまったりしている競技が多くあります。7人制ラグビーのようにマイナーなスポーツを多くの人に注目してもらったり、オリンピック以外の大会を観てもらうのには、もちろん組織的な活動も必要だと思うのですが、そこは僕が大きくコントロールできることではないですので、僕自身の活動とかプレーを通して多くの人に届けばと思います。そして、オリンピック後にもつながるように自分自身が活動して行く必要があると思っています。
- ――寺嶋選手はマツダの車を購入されたそうですね?
- 寺嶋大学の時に1号館という建物があって、そこに1台だけ停まっていたのがマツダCX-5のソウルレッドでした。早朝のウエイトトレーニング前に通った時にそれを見てかっこいいなと思って、この車にいつか乗りたいと思っていました。京都ハンナリーズのスポンサーであるマツシマホールディングスさんがマツダを取り扱っていたので、一目惚れのその車と同じモデルを購入しました。もちろんの同じ赤色です。
オプションを決める時に、音楽のためにBOSEのスピーカーにしたりだとか、そういうところにこだわりました。練習後とかも駐車場に着いて、家に上がればいいのに、無駄に車で待機して音楽を聴きながら色々考えたりしています。ひとつサンフールを付け忘れたのは後悔しています。最初は要らないだろうと思っていたのですが、乗っていくうちに、あれもこれも欲しいとなってしまいました。車は自分の空間という感じがして、大事な空間なので、こだわったほうがいいと思いました。
洛南高校は東寺というお寺の中にあって、寮もお寺の敷地内にありました。門限が厳しくて外にあまり出かけられず、お寺の中で過ごすという感じでした。だからあまり京都を楽しめていなくて、やっと京都にプロで来てから少しずついろいろな所に行けて、車を購入してからはもっといろいろな所に行けるようになりました。
納車から最初の1週間は、滋賀のメタセコイヤ並木に2回行きました。琵琶湖一周も考えたりしていました。
初めての車が僕の憧れていた一目惚れした車に乗れるというのは幸せなことだと思います。3年後に違う車に乗り換えるとしても、バスケで結果を残せばそれだけの車に乗れますし、そういった意味ではモチベーションの一つになります。そういうのを考えるだけでも楽しいです。
- ――林選手は移動の時にどうされていますか?
- 林家を持っていないので、駐車場を借りないと車は持てないし、持っていても2/3が代表の活動で、車を使う時間が限られます。そこで代表の活動が終わって関西に帰ってきている時だけ、マツシマホールディングスに車を貸していただくんですけど、毎回違う車に乗っていて、この1年で10車種ぐらいに乗りました。マツダ、Audi、BMW、メルセデス・ベンツ、フォルクスワーゲンに乗りましたね。
大学を卒業してキヤノンに入って3年いたのですが、買った車が17万5000円の中古車でした。ラグビー選手はいい車に乗っている人が多いのに、当時の僕にとって車は移動手段でしたなかったのです。移動するのに必要だから車を買う、車を持っている方が便利だからという価値しか、当時の僕は車に思いを持っていなかったです。
でも、メルセデス・ベンツのGLAは、かなり気分良く乗りました。その車で移動している時間も含めて、リフレッシュになっていい気分になれて、やはり自分がいいと思う車に乗るってことの価値をすごく感じました。いい車というのは、高い安いでなくて、自分にとっていい車で、愛着持って、愛情を持っている車であったら、多分気分が良くなると思うんです。
僕は考えてしまうタイプなので、その時なりの答えを出さないと、ずっとそれを何回も考えてしまいます。車に乗っている時間は一旦無になって考えを整理できるので、温泉に入っている感覚と似ています。僕の場合は、考えを整理するのは湯船か車です。
僕は車を所有していませんが、自分にとっていい車を持っていて、それが日常の一つであるというのがプラスになる、それが車の価値だと思います。
- ――寺嶋選手にとって車はどんな存在ですか?
- 寺嶋試合会場へ車で行くので、車の中だけはひとりの空間ということで、試合に勝った時も負けた時も、車の中で落ち着けるというか安心できます。そういった意味では、最高な空間という感じがします。この車でいろいろな経験、苦しいことや楽しいことをしてきて思い出が詰まっているので、手放す時は寂しい気持ちになると思います。
©KyotoHannaryz/B.LEAGUE
PROFILE寺嶋 良 TERASHIMA RYO
1997年、東京生まれ。バスケットボールの強豪として名高い京都の洛南高校から東海大学へ進学。在学中にプロバスケットボールB1リーグ、京都ハンナリーズに入団。ポジションはポイントガード(PG)。優れたクイックネスを活かして相手ディフェンスをかき乱すプレイが魅力。
PROFILE林 大成 HAYASHI Taisei
1992年、大阪府生まれ。東海大仰星高校から東海大学を経て、2015年にラグビートップリーグのキヤノンイーグルスへ入団。ラグビー人生最大の目標は、「7人制ラグビー日本代表として東京オリンピックで金メダル」との決意を胸に退団し、日本ラグビーフットボール協会と7人制専任契約を結ぶ。定住する家を持たず、大型スーツケースひとつで全国各地をさすらう「アドレスホッパー」アスリートとして、TVなどメディア出演多数。