競輪競技で最も権威のあるレース“日本選手権競輪”に向けて。
競輪の各レースには格付けがあり、中でも格付け上位に位置するのが“G1レース”と言われるもの。“G1レース”は年間6回おこなわれますが、毎年5月に開催される“日本選手権競輪”はG1レースの中でも最も権威のあるレース、別名『競輪ダービー』として多くの競輪ファンに親しまれています。
「競輪は一年中レースが開催されるオフのないスポーツですが、僕は日本選手権競輪のレース向けてコンディションをつくっていくように日々調整しています。そのレースで活躍し、結果を残せるように1年間取り組んでいくようなイメージ。他のレースで戦法を試したり、自転車の細かい調整しながらベストな状態をつくり、日本選手権競輪で勝つためにトレーニングしています」。
クルマは心のスイッチを切り替える、大切なパートナー。
村上選手は、2台のクルマを所有しています。愛車は『アウディQ5』と『メルセデスベンツS600』。普段の練習に使うのは、自転車を何台も積めるアウディQ5を愛用。レースの移動に使うのは、メルセデスベンツS600だといいます。
「レースの際は前日に会場に入らなければなりません。自転車はレース会場に別搬送し、自分はクルマで移動します。ですから、レースの前にはできるだけ体に負担をかけないように、静かで走りの安定しているベンツを使っています。クルマは僕の競技人生の大切なパートナーです。年々ライフスタイルの中でも、その重要性を感じるようになりました。普段はアウディに乗って、練習モードにスイッチを入れて、レースに向かう際はメルセデスベンツで本番のスイッチをON。クルマを乗り分けることで、自然と心のスイッチを切り替えしているんですね」。
レースで乗る自転車の数ミリの誤差を体で感じ取ることができるという村上選手。クルマに乗るときの自分のモチベーションや体の感覚というものも普段から重要視しているのではないかと想像できます。
「普段は常に勝負の世界にいますから、いつもどこかで戦闘態勢になっている部分があります。片や、きれいな景色を見ながらクルマで走っていると気持ちが良くて頭の中がすごくリラックスできます。練習でよく丹後半島に行くのは、海沿いを走る爽快感がたまらなく好きだから。これといった目的がなくても、ただクルマで走るためだけに丹後までドライブすることもあるくらいです」。
応援してくれる人がいる。それが自分の力になっています。
「30代後半になって競輪の壁を感じているときに、マツシマホールディングスさんと出会いました。レースを休場しなければならなくなったとき、気持ちが切れてしまって、そろそろ“引退”という二文字がチラついていた頃、マツシマさんがスポンサーについてくださりサポートを受けながら走らせてもらうことができました。社長からは “あきらめたらアカン”とお会いするたびに何度も激励していただき、そのことに対する責任を果たしたい。頑張る姿を見ていただきたという思いで、もう一度走り始めました。そこからです。目標としていた日本選手権で優勝をつかみ、昨年は賞金王にも輝くことができました。応援してくれる人がいるということが今の自分の力。だからまだまだ走り続けられます」。
静かに、そして時に熱く語る村上選手。その目は、さらなる高みを目指す輝きに満ちあふれていました。
家族との貴重な時間は、クルマに乗って食べ歩きへ。
私生活では3人のお子様がいらっしゃる村上選手。「レースと練習の繰り返しで、なかなか子どもたちと一緒にいる時間は少ないですが、時間があえばよくクルマで出かけますね。子どもが小さな頃は、キャンプにもよく出かけましたよ。
娘なので、今はやっぱり食べ歩きが目的のことが多いかな。たとえば、みたらし団子が食べたいということになると『加茂みたらし、行こか!』ということなったり…」。
娘さんが調べてきたおいしいお店めぐりをする休日。村上選手の和やかな笑顔が想像できます。
娘さんとは、自動車免許をとったらどんなクルマに乗りたいかなどもお話しすることが多いそう。村上選手が助手席に乗る日もそう遠くはないかも知れません。
1974年、京都市出身。日本競輪選手会S級S班に所属。
200年G1初優勝。2012年KEIRINグランプリ初優勝。2013年・2014年ダービー連覇。
2016年名古屋ダービ-3連覇、KEIRINグランプリ2度目の制覇など。
競輪界を代表する先行選手で、その走りは「魂の走り」と呼ばれる。