fbpx
<br />
<b>Warning</b>:  Illegal string offset 'title' in <b>/home/kamig/foresight-web.jp/public_html/wp/wp-content/themes/foresight/single.php</b> on line <b>52</b><br />
h

Kyoto Premium Talk『クルマと、わたし』vol.9 ゲスト 佐々木喜一さん(成基コミュニティグループ会長)

諮問機関にも参加した
民間教育のプロが登壇

 
さて、問題です。本日、京都屈指のアートスポットたる岡崎に静かに佇む、こちら、マツシマホールディングスが文化事業として運営する気鋭のギャラリー『MtK Contemporary Art』に集いし面々。分野は異なりますが、いずれも京都をホームタウンにビジネスを展開している各々の業界のトップランナー。実のところ、教育というキーワードにおいてひとつの共通項があるんです。和やかに談笑をする3名は、図らずも、同志社大学の同窓。1970年代に今出川で青春を謳歌したゲストの愛車、「イノチェンティ ミニクーパー 1300」のノスタルジックなエピソードからスタートします。シャドー柄が印象的なビスポークスーツで登場いただいたのは、学習塾関連事業を礎とする成基コミュニティグループの会長、佐々木喜一さん。2021年まで、第2次安倍内閣の私的諮問機関、教育再生実行会議の有識者委員も務められた氏が、クルマ遍歴に始まり、独自性(オリジナリティ)と独創性(クリエイティビティ)に溢れた経営術、教育方針をたっぷりと語ってくださいます。対談のお相手は、同窓の後輩、マツシマホールディングスの代表取締役社長、松島一晃&KBS京都出身のキャスター・ジャーナリスト竹内弘一。キャンパスで繋がった3名の近しい関係も相まって話は弾みます。とりわけ、輸入車や国産車にまつわるトークの瞬間は、教室の片隅で憧れのクルマについて熱く議論をする先輩後輩に見えたとか。そう、クルマというものは、年齢に関係なく、ずっとずっと語り甲斐のあるテーマなのです。
 

Guest


成基コミュニティグループ 会長佐々木 喜一

佐々木 喜一(ささき よしかず)
成基コミュニティグループ 会長
1958年京都市生まれ。同志社大学文学部卒業。29歳で進学塾成基学園の第二代理事長に就任。当時5教場の学習塾から幼児教育、個別教育、国際教育、小中高受験教育、大学生支援教育、社会人・父母コーチング教育等の総合教育機関として発展させる。「地球を救うために、世界の人々から尊敬、信頼、愛される日本人創りに己の全てを捧げる!!」をモットーに、内閣総理大臣許可 日本青少年育成協会会長を歴任、教育コーチング事業を創設、コーチングのパイオニア的存在。2012年、21世紀の日本にふさわしい教育体制を構築し、実行に移していく安倍内閣直轄の会議「教育再生実行会議」メンバーに、民間から唯一の有識者として選出。
 
成基コミュニティグループ  https://www.seiki.co.jp/


 

名車がずらりと揃う愛車遍歴

 

竹内本日は成基学園の佐々木会長にお越しいただきました。よろしくお願いいたします。
松島お話しできる今日を楽しみにしておりました。よろしくお願いいたします。
竹内まずは車のお話から伺っていこうと思うのですが。愛車遍歴をゲストの皆さまに伺っておりまして、事前に伺ったところではミニ、ローレル、ボルボ、ジャガー、ロールスロイス、ベントレーと素晴らしい車に乗ってこられました。そして現在はアルファード。行って帰ってきたなっていう感じがするんですけど、どんな基準で車を選んでこられたんですか。
佐々木大学生の頃、両親から「自分の小遣いで買いなさい」と言われ、自分で手の届く車を考えて「ミニクーパー イノチェンティ 1300」の中古車を購入しました。その当時150万ぐらいだったのですが、ローンを組んで。バイトで稼いでは、休みになったら車に乗って。彼女は一応居ましたんで、助手席にはほぼ彼女が座ってました(笑)。やっぱり車に乗ってるのがすごく楽しかったので、全然疲れなかったです。
竹内うん、いくら運転してもね。
松島「大学生になったらお金貯めて買うぞ」っていうのは、元々お車が好きだったんですか?
佐々木いや、そんなに好きっていうわけじゃないですが、同志社大学に通っていたので、比較的経済的に裕福な人が多かったから、周りに負けたくないということもあったのでしょうね。あの当時「BMW」に憧れていましたけど、ちょっとそこまでは自分のバイトの収入では手が届かなかったですね。
竹内でも「ミニ」って極端に車体が小さいじゃないですか。もうめちゃくちゃ可愛くてキュートで。ちょっと佐々木さんのボディーには、小さい感じがしますけど。
佐々木何をおっしゃいますか。その頃の僕の写真を見たら、もうシックスパックですよ本当に(笑)。ゴルフの「シックスパッド」じゃなくて。「えー!」って言われるぐらいですよ。
竹内(笑)じゃあ、ミニはそんな小さいと感じなかったんですか?
佐々木もうジャストサイズ、ホンマに。
竹内でも、もうちょっと大きい車もあるし、国産車っていう選択肢もあったと思うのですが、何で最初の車はミニだったんですか?
佐々木国産車はたくさんの人が乗ってるので、同じっていうのが「自分の個性がない」と。自分の主義主張は、ある面では「車も自分を表してる」っていうとこで。だから国産車に乗りたいっていうのは1%も思わなかったですね。
松島なるほど。「人と同じことをしたくない」っていうのは、今にも受け継がれてる考え方ですか。
佐々木そうですね、よく言えばね。悪く言えば、単なる変わり者、変な奴かもしれないですが。
竹内でも、その後「ローレル」も乗ってはるから、国産にも乗っておられたわけですよね。
佐々木「イノチェン」には本当に苦労させられて、動かなくなったりね。極端な例だと、ギアが走行中にポンッて抜けて「ええ!?」みたいな。そんなことで、修理工場に頻繁に入って悩まされてたんです。
竹内ああ、手のかかる車だ。
佐々木でも、悩まされながらも、それがなんか「かわいい」って。
竹内かわいいですよね、「手の掛かる子ほどかわいい」と。
竹内弘一 佐々木 喜一 松島一晃

 

佐々木大学生の時は、よくバイトして貯金して、アメリカに行ったんです。毎年最低でも1回、1ヶ月くらい行ってたんです。1980年初頭ぐらいですから、日本車がアメリカ中にバーンと出ていて。アメリカの車って言ったらもう大きくて、燃費は悪い。なんか「ダサイ」みたいなね。
竹内日本車がスマートに見えたそうですね。
佐々木それで、急に国粋主義者のように「やっぱり日本の車だろう」と(笑)。向こうでレンタカーを借りても、日本の車は全然故障もせず燃費も良いし、「やっぱり日本の車って最高やな」と思って。一旦戻ってきたときには、もうミニクーパーを売って国産車を買いました。
竹内その後、ボルボもありますけど、英国車が多くなりますよね。よく考えたら、最初も英国車。
佐々木やっぱり味があるんですよ、イギリスの車ってね。特に「ジャガー」にした時は、「ル・マン」でジャガーがワンツーフィニッシュして。これだけの結果を作るんやったらジャガーに乗ろうと。ドイツの車ってすごく性能もいいし合理的ですけど、なんか風味というか、僕にはちょっと違うなと思って一度も乗ってないです。
竹内その後「ロールスロイス」があったり「ベントレー」があったり、世界の最高峰じゃないですか。ドイツ車とか英国車とかも関係なくトップクラスですよね。
佐々木イギリスの車に少しこだわりがあって購入しました。
竹内どうでした?「ロールスロイス」と「ベントレー」。それぞれ違った個性を持っていますよね。
佐々木僕は塾を運営していて、韓国大手の塾との交流会グループのリーダーをやっていましてね。毎年日本に来たり韓国に行ったり。相手を車で迎えに行くのに、やっぱりロールスロイスで行くと喜んでもらえましたね。
松島今、韓国では高級車がめちゃめちゃ売れてるんですよ。日本より売れていると思いますね。BMWの7シリーズとかアウディのA8、メルセデス・ベンツSクラスなどが人気あります。車体の大きい車が、日本と比べ物にならないぐらい売れてるんですよね。
佐々木僕は、20年以上乗った車もありますし、故障をいっぱいしても直して乗ることにしています。中には売却した車もありますが、基本的にはその車の命が尽きるまで、共にしたいという思いを持っています。
松島佐々木さんは今何台くらいお車をお持ちなんですか?
佐々木今は3台ですね。
松島全部その命尽きるまでお乗りになってから次の車ですか?
佐々木私はそうですけど、家内は何かのタイミングで乗り換えようとなることもありますね。子供が4人居たので、子供を乗せるときにはこういう車がとか。今は子供が大きくなってますから、ゴルフ行くのにトランクの大きい車がいいだとか。
竹内弘一 佐々木 喜一 松島一晃

 

 

危機を乗り越える決断力こそ経営者の必須スキル

 

竹内弘一
竹内佐々木さんが20年以上乗られたという「ジャガー XK8」は知る人ぞ知る名車で。しかもオープンじゃないですか。本当に維持するのも大変やと思うんです。今マツシマでクラシックカーの事業を始めたということで、そういう意味で言うと「新車でお買いになって、それがクラシックカーになるまで乗れる」ってなかなかないことやし、それが「真骨頂」というか「クルマ道」っていうか。
佐々木クラシックカーっていうイメージからしたら、あのフォルムは「結構年数が経ってるのに、まだおしゃれな雰囲気やんか」みたいなね。
竹内すごいセクシーな形で、多分これからもそんな古びることがないっていうか。でも将来は、あれがクラシックになるんです。だからそれまで乗っていただいたら、すごくかっこいいし、これからどんどんかっこよくなると思います。
松島メンテナンスをお任せいただけるようになれればと思います。
竹内今はもうアルファードでしょ。
松島実用性を重視されたんでしょうか?
佐々木いやいや、全く違って。コロナ禍の自粛期間、新規の入塾が得られなかったり、さまざまな要因で我々の業界も苦戦を強いられまして。うちは100ヶ所以上の教室を運営していますから、家賃もものすごい負担で。あらゆる経費を見直さなきゃいけない時に、真っ先に私が給料半額にして、接待交際費を8割カットします、車も国産に乗り換えます。そういうことをやって、社内の経費削減を行ったんです。
竹内ものすごい覚悟とご苦労があったんですね。
佐々木あらゆる経費の切り詰めを行いましたね。その一環で車が一番目立つので乗り換えて。本当はXK8も売る予定だったんすけど、思いとどまりました。
竹内まだ価値が出る前の車だから、持ってはったらこれから必ず上がりますからね。
佐々木中古車センターの雨ざらしの場所に、4ヶ月間ぐらい放置されてたらしくて。それを聞いたときに「あまりにもかわいそうや」と思って、「そんなに売れないのなら、無理に売らなくても」と言って、引き取りに行きました。
竹内今のお話では「コロナ」っていうのはかなり大きな危機でいらっしゃったと思うのですが、「うまいこと乗り切れたな」っていう感じですか?
佐々木まだZoomもリモートワークもないところに自粛ですから。2020年の3月の中旬に「最悪のケースを想定して全部準備しよう」って言って、人の繋がりもあってiPadを500台用意できました。その500台のiPadを無料でレンタルして、使い方がわからない家庭には利用方法の説明をして、Zoomで授業を開始しました。4月に緊急事態宣言が発令されて、学校が休校となる頃には、100%Zoomで授業をやれるように対応していました。
成基コミュニティグループ 会長佐々木 喜一
松島すごく早いですね。そもそも3月からそれだけ準備して動き出すっていうこと自体、決断の速さや行動力に頭が下がります。
佐々木経営者は最悪のケースを想定して、それに対応することが大切かなと思います。8月の夏期講習も、講師たちは「教室で授業をやりますよ」っていう意見だったのですが、僕1人が最悪のケースを想定して「17日からの講習会の授業は全部Zoomに切り替える」と言いました。全員反対しましたけど「僕が責任取るから」と話しましたね。起こる前に手を打つことを、経営者として責任を持ってやったっていうのは、この危機を何とか乗り越えられた要因の一つですかね。
竹内この経営者としての姿勢というかされた事を聞かれて、松島さんはどう感じられますか?
松島多分3月って、緊急事態宣言の「き」の字もなかったですよね。まだ火種だったと思うんですけど。それをぱっと拾われたスピード感がすごいと思いました。4月になってから慌ててiPadを発注しようとしても、無理ですよねもう。500台買うのもそんな安くはないですし、最悪のケースを想定しただけなくて行動も伴ってらっしゃるので、そこの危機管理というか行動のスピードっていうのがすごいですね。
松島一晃
佐々木一番印象に残っているのは、社員の夏のボーナスです。年2回行っている総会で「夏のボーナス一律10万円」と話をしました。それでなかったらこれだけ会社は赤字になるんだって。当時創業58年目で、1回も赤字を出さずに何とか乗り越えてやってきたのですが、その時は自分で自然に申し訳なさで涙が出て。でも誰1人リストラはしないし、「持ちこたえてくれ、夏頑張ってくれ」って言ってね。コロナ期間でしたけどみんな何かを感じてくれたんでしょうね。だから冬の時は、もう最悪ないか出してもまた10万円の一時金か……と思っていたのが、しっかりとボーナスを支給できるところまで持って行けました。2020年も赤字を覚悟しましたが、何とか黒字で終えることができました。これはもう本当に「社員のおかげ」と思っています。
竹内弘一 佐々木 喜一 松島一晃

 

 
 

『夢』を『志』に変えられる人材であれ

 

佐々木 喜一
佐々木最近の教育に欠けていると感じるのが、夢は語れても志を語れない方が増えているということです。「志」っていうのは「世のため人のために」っていう利他の精神で、「仕事を通して自分の魂を磨いていく」という考え方で。「正解があることを教える」ことはやりやすいですよ。でも、社会に出たら正解ってないじゃないですか。それをどう解決していくかっていうところ。私が1万人の志を指導できる教員を養成しようと思っています。世のため人のため未来のために「このことのために生きてる」とか、「このことのために勉強できる」っていう子供たちを100万人育成しようと思ったら、それだけの教師がいりますから。それをやろうと思ったら、もう自分の会社のことは任せないとできないので、社長を退任しました。
竹内いや、すごい決断ですね……なんかスパッと引く引き際と、次の自分の志への決意がすごく大きいなと思いますけど、松島さんどうですか。
松島成基学園が、このままのベクトルで大きくなっていくことは他の人でもできると思うんです。けど「100万人の子供たちに志教育」って想いは、佐々木さんしかできない。「人とは違うこと」と「自分にしかできないことをしたい」っていう想いは同じところから来ているのでしょうか。
佐々木ある方がパーティーで、中国の古典のことわざを日本風にしておっしゃった僕がすごく好きな言葉があって、「金を残すは小なるもの。名を残すは中なるもの。人を残すは大なるもの」。私がしている教育事業では、アルバイトの学生も含めると今2000人ぐらい従業員がいるんです。社員は370人ぐらいですけど。この人たちをどれだけ成長させることのできる企業であるか、ということだと思うんです。大学生のアルバイトにはエデュケーショナルアルバイトの造語として「エデュバイト」という名前をつけてます。安くこき使って利益を出すためにアルバイト雇用を利用するということではなくて、彼らが社会に出たらいろんな業界で活躍してもらう。活躍するためには当然就職で内定もらわなきゃいけないし、そういうときに「おっ、この人いいな」と思える人材に育て上げるっていうのが、一つのミッションになってます。去年98%くらいアルバイトの方が内定とってるんです。それもほとんど第1志望で。それはなぜかって言ったら、ただ単に教科を教えるだけでは、「僕は一生懸命バイトで子供に教えてました」と採用面接で熱く語ることになります。メーカーでも金融でも「あ、そう。そんなに子供に教えるの好きやったら、そっちいけば?」と思いますよね。僕は逆に、教室には教室ごとにいろんな課題があるから「課題を明確にして、それを解決するためのプロジェクトを考えなさい」って話すんです。就職する前の3回生にプロジェクトを作らせて。仮に大学生が30人いるとしたら、5チームぐらい作るんです。それぞれ2回生、1回生の子らが一緒になって。例えば「生徒の成績の伸びが悪い」とか、ある教室は「生徒数が少ない」とか。いろんな教室の課題がありますよね。それを解決するような活動を半年間ぐらい行ってプレゼンしします。
竹内それは間違いなく育ちますね。
松島成基学園で働ける学生さんは幸せ者だなと思いますね。

 
 

これからを担う若者達へ

 

竹内いろんなエピソードが出てきますけれども、佐々木さんといえば10年近く政府の中枢でずっと教育について発言をされて、教育再生実行会議にも呼ばれている方なわけですが。改めてご自身がこれから進まれる方向という部分と、「どういうふうにしていったら日本の教育が良くなるのか」とか、「お年寄り重視の予算配分が子供の方にいくのか」とか、実際政府の中に入ってわかったことも含めて教えていただきたいなと思います。
竹内弘一
佐々木教育再生実行会議の最後の会議で、私や私以外にも4~5人が発言したのは、大学入試の入り口を緩めるべきだし、多様性を認めようと。何より大事なのは、出口戦略。「大学を卒業してから、いろんなところで活躍する人材を育成することに、大学はエネルギーを本当に注がないと駄目じゃないですか」っていうことを話したんです。すごくいいなと思ったのがアメリカのハーバード大学の教授で、「社会でソーシャルスキルがいくつあるか」っていうのを200のカテゴリーに分けたんです。それで、「日本の大学入試で、200のスキルのうちどれぐらいが活かせるか」ってなると、それを聞いてびっくりしました。「5」なんですよ。それが「200のうち100通用します」とか「場合によってはね180まで行きますよ」って言ったら、それは受験勉強で得るものが社会で活躍するものにイコールになる。でもそれが5では、合わないじゃないですか。
では社会で必要とするのは何かって言ったら『非認知能力』。例えばリーダーシップとか。特に今の日本は、物作りじゃなくてこれからAI(人工知能)の時代に入るのに、そちらの理系の人材は中国の40分の1なんです。要は「社会で活躍する能力」と「大学で学ぶことや大学の入り口のこと」に、とんでもないギャップがあるってことです。僕が教育再生実行会議に呼んでもらっていることに対しても、同業の仲間からは「塾業界を代表して頑張ってこいよ」と言葉をかけてもらうのですが、「いやいや僕は業界の利益のためにやってるんじゃないですよ」と話すんです。「国益のためにやってるから」って。だから極端に言うと「塾が滅んだっていい」と思ってるんです。
やっぱり親は我が子に、今の制度の中で「幸せになってほしい」という気持ちがあるから塾に行かせてるわけで。入試制度が変わったら、それは塾がそこに対応するし、対応できないようなとこだったら、それは淘汰されていったらいいと思ってるんですよ。
松島本当勉強になります。僕いつも思うんですけど、マズローの5段階欲求・自己実現の上に社会貢献っていうか、そんなようなものがあるんじゃないかなと思っていて。稲盛一雄さんにしてもそうですし、松下幸之助さんも「成し遂げた人・行き着いた人って本気でそこに向かっていく」っていうのはいつも思ってましたが、なかなかそこまで……。自分のことでいっぱいで、自己実現がまだできてないなっていうふうに感じながら、日々勉強だなと思ってるんですけど。今お話を聞いてると、自分の志がどう社会に向かっていて、それを社会に対して還元していくかみたいなところの繋がりってすごく重要だなと思いました。
松島一晃
佐々木例えば、松島さんの会社で一番高価な車って何になりますか?
松島価格で言ったらたらどうでしょう。「Audi R8」か「マイバッハ」かな。
佐々木例えば「僕はマイバッハに乗りたい」って言ったら、これ夢ですよね。それを「僕はマイバッハに乗って、多くの人たちにカーライフの喜びを伝えたい」って言ったら、志になるわけですよ。意識をちょっと変えるだけで、歩んでいく道は変わると思います。車を売ったら終わりではないじゃないですか。売って、その人たちが喜んでくれて、「これは素晴らしい」って言ってくれたら「そうなんだ、俺も欲しいな」と言って輪が広がるじゃないですか。社業の発展も、お客さんの喜びも、人間関係も全部繋がっていきます。
「社会全体のために」って別に思わなくて、自分の社業を通して関わってる取引先、従業員、お客様のために、という考え方ができればいいんじゃないですか。
松島まだ「ここまで行くには、もう一研鑽・二研鑽……五研鑽くらい必要だな」と思って取り組んでいきます。
竹内弘一 佐々木 喜一 松島一晃

 

 

Location


MtK Contemporary Art
(http://mtkcontemporaryart.com/)

2021年3月に株式会社マツシマホールディングスが開廊したコマーシャルギャラリーです。現代アートを通じて社会に貢献したいと考えていたマツシマホールディングスと、ディレクターである現代美術作家・鬼頭健吾の「良い作品を見ることができる場所を京都につくりたい」という思いが一致し、ギャラリーとしてスタート。京都の美術館や演劇ホールなど数々の文化施設が集中する岡崎地区において、西日本に縁のあるアーティストの展示を中心に、国内外で注目を集めるアーティストの個展やグループ展を年に6回のペースで開催しています。
また、若手作家を紹介・支援するとともに、京都のアートシーンを活性化させることを目的とした展覧会プロジェクト「mtk+」を開催しています。隣接する「CAFE Dot.S」(ドットエス)を会場とし、ジャンルを超えたさまざまな若手アーティストの展覧会を行っています。
 
〒606-8334 京都市左京区岡崎南御所町20-1

Facebook @mtkcontemporaryart
Instagram @mtkcontemporaryart

MtK Contemporary Art

 

Profile


マツシマホールディングス社長 松島一晃

松島一晃
1986年生まれ。「クルマを、文化に」という想いのもと、京都を中心に10ブランドの正規ディーラーが複合するグループ会社 マツシマホールディングスの社長。本企画ではインタビュアーに初挑戦。ゲストの感性や人間性に触れる対談にご期待ください。

竹内弘一

竹内弘一
I977年生まれ。キャスター・ジャーナリスト。京都先端科学大学特任教授。21年間、KBS京都アナウンサー兼記者として活動したのち、独立。現在は社会起業家として京都市でこども宅食事業を立ち上げ、大学院で論文執筆に励む。培った人脈を活かし、本企画のゲストブッキングを行う。

 


写真:加川雄一(U-one Photography Studio)

RELATED ARTICLES関連記事