安土桃山から続く歴史ロマンの地・伏見を歩く。
安土桃山時代に豊富秀吉が伏見城を築城したことにより、一気に城下町として開花し、京と大坂を結ぶ淀川水運の要として、脚光を浴びるようになった伏見の町。幕末には坂本龍馬ら維新の志士たちが集い激動の歴史の舞台にもなりました。町のいたるところに歴史的な建造物や遺構がのこり、時代の一端にふれることができます。
伏見城築城の際に外濠として造られた人口河川・濠川は、江戸時代には三十石舟などが多いに行き交う水運の中継地として栄えました。周辺には船宿や問屋、倉庫などが軒を連ねていました。また、良質な水に恵まれていたことから、酒造りの町としても反映しました。濠川周辺には今なお当時の趣きを残した酒蔵が立ち並びます。
月桂冠大倉記念館の裏手を流れる濠川では、当時の水運を担った「十石舟(じっこくせん)」や「三十石舟(さんじっこくせん)」を復元した観光船に乗ることができます。月桂冠大倉記念館の南側には「十石舟」の発着場があり、坂本龍馬ゆかりの寺田屋近くには「三十石舟」の発着場があります。
「十石舟」は、濠川のたもとから出発し、途中三栖閘門で一旦下船して資料館を見学後再び乗船し舟乗り場へと戻ります。川の港町・伏見の歴史を伝える、酒蔵と水辺が美しい約50分のコースを巡ります。
十石舟や三十石舟が往来する濠川沿いには散策路があり、今なお当時の面影を色濃く残す町並みを、川沿いの散策路を歩いてゆっくりと楽しむのもおすすめです。
激動の歴史の舞台となった幕末にタイムスリップ。
幕末の伏見には、薩摩藩や土佐藩の屋敷も置かれていました。濠川のすぐ近くには、坂本龍馬の定宿のひとつ旅籠・寺田屋があります。攘夷派の薩摩藩士が、倒幕に反対する藩士と乱闘となった「寺田屋事件」で広くしられることになりました。
現在の寺田屋は、鳥羽伏見の戦いで焼失してしまった寺田屋を模してたてられたもの。今も旅籠として営業していて、内部の見学もできます。寺田屋騒動がおこった当日の刀傷や、龍馬が放ったという弾痕が残されており、間近で歴史の痕跡を見ることができます。
当時の舟を復元した十石舟や幕末の歴史舞台の場所など、遠く江戸に思いを馳せながら、ゆっくりと伏見の町を歩いてみませんか?