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This is the Kyoto way Vol.04 「異文化に、 忍びこめ。145年続く茶筒の老舗 開化堂」

京都を訪れる外国人に向けて英語で京都の情報を紹介するフリーペーパー「ENJOY KYOTO」とのコラボレーション企画「This is the Kyoto way」。伝統工芸や食などの個性豊かな京都の文化から、その継承・発展・創造に携わる人まで、通常の観光情報誌とは一味違った、京都の深い魅力を発信します。

 

“日本の工芸はむしろチャンスだ”という発見
創業は明治8年(1875年)。開化堂は、ブリキや銅や真鍮で作られた茶筒づくりの老舗である。その開化堂がカフェをオープンさせたのが2016年5月。当時、京都を代表する老舗の茶筒屋さんが運営するカフェということで話題を集め、それから4年たったいまも多くの人で賑わう人気店となっている。
カフェを手がけたのは開化堂6代目・八木隆裕。創業から145年となるこの有名老舗店において、数々のイノベーションをもたらしてきた人物だ。カフェ以外にも、若手職人集団GOONのリーダーとして国内外に京都の伝統工芸を広めていくプロジェクトや、さまざまなトークイベント、ワークショップを行うなど、精力的な活動を展開している。
 

開化堂6代目・八木隆裕

開化堂6代目・八木隆裕。ヨーロッパで行われる「ユーロカップ」をはじめ国内外のカーレースに出場するほどのクルマ好きでもある

 

開化堂カフェ

開化堂カフェ

 
八木隆裕は1974年生まれ。大学では英語を学び、持ち前のコミュニケーション力を買われ、卒業後すぐに京都ハンディクラフトセンターに勤める。家業を継ぐ気はハナからなかったという。ましてや5代目である父親の聖二氏からは「継ぐな」とさえ言われていた。日本人の生活スタイルの変化に伴い、需要の減った伝統工芸品の職人はいずれその仕事では生活を立てることができなくなる、といういのが父親の考えだったからだ。
ところが転機は意外に早く訪れる。隆裕が京都ハンディクラフトセンターで働いていた時に店を訪れたアメリカからの観光客の女性が、父の作った茶筒を購入した。隆裕は「この茶筒をどう使うのか?」と尋ねると彼女は「シンプルだし、キッチンでいろんなものを入れておくのに便利だと思ったから」と答えた。彼はそこで閃いた。
「用途を茶筒に限る必要はない。マーケットを国内と決めつける必要もない。この密封性の高いうちの商品をいろんな食材などの容器として海外でももっと使ってもらえるんじゃないか?」
彼はすぐさま職を辞し、家業に戻った。いまからおよそ20年前、彼がまだ24歳のときのことだった。こうして6代目としての修行が始まった。

 

いちばん左の茶筒が2年ほど経過したもの。いちばん右の茶筒がおよそ30年以上使い込んだもの。

いちばん左の茶筒が2年ほど経過したもの。いちばん右の茶筒がおよそ30年以上使い込んだもの。経年変化で使うほどに独特の味わいが生まれる

 
“迷ったときは初代に聞け”という助言
開化堂の茶筒を海外で売るという隆裕の考えに対し、父親からは即座に「アホか」と一蹴されたという。「外国の人がうちの茶筒なんか買うわけがない」というのが父の意見だった。もちろん当時はそれが常識的な考えだった。なにしろ当時は商品の90%以上がお茶屋さんに茶筒を卸すためのもの。誰も5代目を責めることなどできはしない。
ただ、海外で売るということについて、隆裕はなにも新しいことを始めようとしているつもりはなく、むしろその逆だ、というのである。「100年後に同じものが買えて、100年後に同じものを修理ができる」。これが開化堂の初代から変わらぬコンセプトである。ゆえに、彼はこの創業の理念に立ち返っただけである。100年後もいまと変わらず在り続けるためには、100年後に残すための仕事をいま始めなければならない。そう彼は考えたのだ。
また、シャンパーニュメゾンKRUGの同じく6代目であるオリヴィエ・クリュッグの言葉にあった「迷った時は初代に聞け」という言葉も彼を後押しした。開化堂の初代もイギリスから輸入したブリキを使った茶筒で会社を興した開拓者だったのだ。そもそも開化堂という名前は「文明開化」と呼ばれる、日本が武士の社会から西洋型の市民社会へ移行する時代のスローガンからその名を取られているのだ。やるべきことは決まった。開化堂の茶筒を必ずや世界の市場で売り込んでみせる。隆裕はそう誓った。
以降、ニューヨークやパリなどでの展示会やミラノサローネへの出展を始め、世界各地でワークショップ形式の展示会を開催。2014年にはイギリスのヴィクトリア&アルバート博物館にパーマネントコレクションとして収蔵された。さらに今年に入ってからも、デトロイトでのモータショーや上海での展示会に参加するなど、いまや日本のクラフトを紹介するイベントには欠かせない存在になっている。

 

右は隆裕が使っている現役の金槌。左は彼の祖父が50年使い込んだという金槌

右は隆裕が使っている現役の金槌。左は彼の祖父が50年使い込んだという金槌

 
“世界中のキッチンで使われる”という確信
6代目・八木隆裕が海外に出て開化堂の茶筒を実演販売しながら、さまざまな国の人たちと意見を交わして感じたことは、「忍び込む」という感覚の必要性だった。「大切なのは、異文化に忍び込むこと」だと彼は言う。たとえばいまでは開化堂の茶筒の密封性の高さを活かして保存用のパスタ缶も製造販売しているが、これもイタリアである女性から実際にそういうニーズがあることを教えられたことで実現したのだそうだ。なにげない生活シーンのなかに忍び込むように、少しずつ使われ、浸透していく。そのイメージができればきっと成功する。「これはお茶筒ですよ」とこちらから一方的に使いかたを決めつけるのではなく、容器としての質の高さがきちんと伝わりさえすれば、使いかたは使う人が自由に決めてくれる。そうやって、まるで開化堂の茶筒の蓋が開くときのように、音もなくスーッとスムースに浸透していければいい。彼はそう語る。「気がつけばさりげなくそこにある。世界中のキッチンにいつの間にか置いてある。そしてそれに誰も違和感を感じていない。そういう状況を作るための準備を、いまぼくはやっているところなんです」。そして、開化堂カフェを始めたのも、伝統工芸を若者文化に忍び込ませるためなのだ。
 

開化堂カフェで使われている珈琲缶などのアイテム

開化堂カフェで使われている珈琲缶などのアイテムは、開化堂のお店や開化堂カフェはもちろんネットショップ(https://kaikadocafe.handcrafted.jp)でも購入することができる。

 

“優れた容れ物は開化堂”というブランド戦略
最後に、彼が目指す将来的な目標について訊いてみると「世界のスタンダードになること」だという。しかもそれは、開化堂の茶筒を世界一有名な茶筒にするという意味ではない。彼の言う世界のスタンダード、それは「優れた容れ物と言えば開化堂」という認識を世界中の人が持つこと。お茶の葉はもちろんパスタやコーヒー、あらゆる乾燥食材から、いまの時点で彼自信が想定していないものも含めて「ともあれ開化堂の容器に入れておけば安心」という認識が定着すること。それが彼にとっての夢なのだそうだ。
そのために開化堂カフェというオープンなスペースで美味しいコーヒーを飲みながら工芸を体験してもらうことや、海外のイベントなどに出向いて行う実演を通じて、品質や技術の高さはもちろん、生活の中でさりげなく使えるものであることを浸透させていくことに力を注いでいる。
だから、あなたも。ニッポンの伝統工芸を旅のお土産に持ち帰る、という発想はこの際、鴨川にでも捨ててしまおう。「何を容れたらいいかしら?」「キッチンのどこに置けばオシャレかな?」、あなたの家のキッチンを思い浮かべながら、そしてそれをより楽しくするための使い方をあれこれ想像しながら、開化堂カフェに来て、美味しいコーヒーを飲みながら、いつか世界のスタンダードになるかもしれない「魔法の箱」に会いに来てほしい。

 

開化堂カフェ

開化堂カフェ

 

開化堂カフェ

開化堂カフェ。京都市電の事務所兼車庫だったレトロな建物は登録有形文化財に指定されている

 

京都市下京区 | カフェ

開化堂カフェ

 075-353-5668
京都市下京区河原町七条上ル住吉町352
京阪電鉄「七条」駅から徒歩5分/京都市バス「河原町七条」下車すぐ
営) 11:00~18:30(18:00 L.O) 
休) 木曜日、第1水曜日
 
HP http://www.kaikado-cafe.jp/
Facebook @kaikadocafe352

開化堂

開化堂

開化堂カフェ

開化堂の店内

京都市下京区 | 丸鑵製造(まるかん)

開化堂

 075-351-5788
京都市下京区河原町六条東入
京阪電鉄「清水五条」駅から徒歩5分
営) 9:00~18:00
休) 日曜日、祝日、第2月曜日
 
HP https://www.kaikado.jp/
Facebook @kaikado

記事協力: ENJOY KYOTO

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